文章

文章を書く。ということの意味を、改めて考えさせられることがあった。
ちょっとしたエピソード。


この連休に、お姉ちゃんが子どもたちを連れて帰ってきていた。
中1の男の子と、小3の女の子。


夜、家に帰ると、ふたりが居間のテーブルに並んでそれぞれ何かやっていた。
お兄ちゃんはハリーポッターを夢中で読んでいる。ちょっと夢中すぎるくらい。
妹の方は、原稿用紙に向かって何か書いている。
どうやらこないだあった運動会について、作文を書かないといけないらしい。



遅いごはんを食べながら、向かいからめいっこの様子を観察していると、
ちょっと書いては「うーーーん」と悩み、頭に指を当てて何やら考え込んでいる。首まで傾いている。

あまりに考え込んでいるので「どーしたん?」と聴いてみたら、

「運動会で使うポンポン割いてんけどなーそれやってるとき、嬉しかったんか、楽しかったんか、おもしろかったんか、楽やなぁと思ったんか、どれなんか分からへんねん・・」


あぁ。そうか。
心を形にするのが文章なんだ。と思った。


これがもし私とめいっこの他愛ないおしゃべりだったら、彼女はきっと、ここまで言葉にこだわりはしなかっただろう。


文章にすることで、使う言葉にぐっとこだわるようになる。
自分がどう感じたか、ということに忠実にいたい、正確に表現したい、と思うようになる。
表現しなければ、言葉を見つけられなければ、次に進むことが出来ない。


でも、忠実にいたいと思えば思うほど心が逃げていっちゃうような、そんなジレンマを私は彼女の中に見たような気がした。




結局、このめいっこの葛藤は、
「ポンポン割くとこって、あんたまだ運動会始まってないやーん!もう今日は寝るよー」という我が姉の一言で終了となった。
めいっこは、さっさと歯を磨いて寝た。



半分くらいで止まってしまった原稿用紙を見ながら、自分がどんな風に感じているか、ということを自分に問いかけ続けようと思った。



めいっこは書けたかしら。