どっちだ闘争と、これからのこと
どっちだ闘争、というのが常に起こっていて、
わたしという人間は、自分でぐいぐいやってくタイプなのか
それともサポートに適しているのか。
女房として、自分の母のように家庭に生きるか、
外に出て社会的に生きていくのか。
ずっと前に、川上未映子のドキュメンタリーを見たとき、
膨大な原稿を前に、川上さんと担当編集者の女性とで、いろいろ相談しているシーンがあって、
わたしはその光景に釘付けになったのだけれど、
じゃあ一体どっちに憧れたのか。
なれるなら、どっちになりたいか。
そういうことを漠然と考えている。
23才のときに出会ったその人は、わたしに文学を与えてくれた。
詩を感じることが出来たのは、他でもないその人のおかげだ。
その人と一緒にいると、少しずつこのどっちだ闘争が膨らんでいった。
理由はいろいろあるけれど、
きっと単純に、知らない世界を知ったのだ。
そして、組み合わせがもたらす楽しさと、互いの人生を影響しあうむずかしさ
自然と「役割」を考える。配慮か女心かわからなくなる。
その人の志すこと、を尊く感じる自分は、尊く感じるがあまり
わたしには出来ないと思いながらも、
出来る出来ないではなく、興味が湧く自分を確かに感じていた。
今の仕事に対して、今もむかしもずーっと心がシクシク泣きっぱなしのわたしは、
そろそろいい加減にしておいて、
静かに、今と違う流れの方に泳いでいきたいと思っている