小説に嫉妬する

村上春樹の「スプートニクの恋人」を183ページまで読んで、やっぱりこの人の文章が好きだ!と叫びそうになった。

読みながら、私はどうも小説というものに嫉妬してるような気がした。


小説では、「 」じゃない部分にそれぞれの人物(主に主人公)の心の動きがいっぱい描かれている。村上春樹の場合は、とくにその部分をめちゃくちゃ豊かに、デリケートなものとして丁寧に扱っているように感じる。
私はそういう文章がすっごく好き。
どっぷり浸かってしまう。


現実世界でも、「 」じゃない部分、つまり相手が表現しない、もしくは表現の根拠になってる部分をもっともっといっぱい感じれたらいいのになぁといつも思う。
私ももっと感じさせられたら、と思ってる。


でも、全てを余すことなく言葉にしちゃったら、表現し尽してしまったら、それはやっぱり小説みたいなフィクションぽくなってしまうんだろう。
それじゃ現実を生きてる気がしない。おもしろくない。



だから結局小説を読むんだと思う。
フィクションとして。
自分と重なるようで、ありえない世界。ありえない視点。
それをただ味わいたくて読む。

私は、何となく少し嫉妬しながら読んでる。