ほしいものはもうない

いつだったか休みの日、中央線に乗っているとドアの前に小さな女の子とお母さんが立っていた。
あんまり可愛いので目で追っかけた。
そのとても陽気な女の子は大きな声で歌を歌い、揺れる車内を不安定に動き回っていた。
お母さんはちょっとイライラしてそうな感じで携帯をいじったり、注意したりしていた。

私はどうしても目を合わせたかったけれど、どうもこっちを見る気配がない。
視線が合いそうで合わない。
もうすぐ東京。
あーあ残念、ちょっとでいいからこっち見ないかなぁと思っていると、向こうの方から少年が、ちょっとふらふらしながら女の子の方へやって来た。

彼を何とはなしに見ていると、突然女の子が間違いなく私の方を見ながら彼を指さして、「にーに!!」とものすごい笑顔で叫んだ。満面の笑みだった。
お母さんがどっと笑って「紹介しなくっていいのよ〜」と言った。
お兄ちゃんがはにかむ。ぺこり。
私も笑ってうなずいた。


今日、東西線で隣にお父さんとお母さんと小さな男の子が座った。
お母さんの膝に乗った男の子がやっぱり可愛いくて、ちらっと見ると、彼もちらっとこっちを見る。
目が合う。
すると前を向く彼。
仕方ないから私も前を向く。
またちらっと見てみる。
彼も同じくちらっと見てくる。
全然笑わない。

パパパっと声に出さずに口を動かしてみる。
ウインクもしてみる。
笑わないけど、じーっと見つめてくれる。

吉祥寺の手前で、笑う顔が見たかったなと思いながら席を立つ。
振り返えらない。

ドアに立つ。
駅に着く。ドアが開く。

横を向き、最後に思い切ってちょっと遠くにいる彼に手を振ると、ものすごい笑顔で手を振り返してくれた。
お父さんもお母さんも笑っていた。


これが私で、私とはこういうことで、今よりほしいものはとくにないように思えた。