ようやく私も

お母さんにようには生きない。
お姉ちゃんのようにも生きない。

どんな友人とも違う、私の生き方。

雑誌にも載ってない。テレビでもやってくれない。インターネットでも検索できない。
だったら自分でやってくしかない。
青写真を修正、修正、修正、、、、
消すのも書くのも、私。


あなたと私は違う人生を生きている。



いつからか私は、探求者の応援者という役割を自分に与えてきた。知らず知らず。
が、今日で卒業です。
もちろんその気持ちは変わらないのだけれど、私も「あちら側」の人間なのだと、今日やっと受け入れた。


覚悟とは、決めることでなく受け入れることだ。
(こわい。こわいね・・)
でも、つまんない、の方がキツいんだもの。
飽きる、は死も同然。




歩道橋で今日、詩を聴きながら静かに今後を受け入れた。
車が流れる、次から次へ。
人がどこかからどこかへ向かう。
見ながら私は、いってまえ、と思った。


なんとかなるだろ、まだ若い。
根拠のない自信。それだけが私の根拠だ。



私も流れて変わって、時代も流れて変わって、止まって止まってって言っても止まらなくって、誰かを安心させるために生きるのなら、私は一生死ねない。動けない。危なくって家から出られないじゃない。究極的には。


どんな風に生きても死ぬ身の私なのだから、どんな、のどんな、をもっと自分の本当の快楽、悦びにくっつけてみようと思った。
私だってくっつけていいんだって知った。