言葉の向こうの景色のこと

たったの一週間アメリカにいっただけ、といえば「だけ」なんだけど、自分のなかで、じつにさまざまな変化がおこっています。

わかりやすいところで言えば、英語に少し手ごたえを感じられたこと!だから英語がもっと好きになれたこと!


まず最初に「お!いけるわ」と感じることができたのが、ニューヨーク行きの飛行機の中。
お手洗いの前に立っていた異国のレディに言われたセリフが、ほんとにこんな感じで聴こえたのでした。

こんな感じ→「あ、もしトイレいきたいんやったらさ、あたし人を待ってるだけやから、あたしに何も言わんと使ってくれていいからね!」

とまぁ、なぜフランクな関西弁なのかはナゾだけども、ほんとにこんな感じで
本場ニューヨークでもそういうことがけっこう起こったの!嘘でないのよ!


英会話をしようと思ったら、英語→日本語に置き換える時差を、徹底的に短くしなきゃいけない(置き換えないのがベスト)わけで、
cat→猫→ニャーと鳴くフサフサした可愛いやつ、ではもう遅い!「猫」のステップが余計なわけですよね。
cat→ニャー
これが、どんな単語/フレーズであってもできるようになれば大丈夫なんだ。

だから、英語→イメージ と時差なく聞き取れたらいいってことなんだなぁ。
そして、イメージ→英語 で表現できたらキャッチボールができる。

そして、それができたシーンが少なからずあったのでした。うれしかたよー


あっひょっとしたら、、英語でも、相手の中の言葉になる前の景色が見えるようになってきたってことなのかも、、。

って、さっきお風呂に入りながらキランとひらめいた。
あの感じは、そういうことだったのかも、、。


言葉って、たとえ何語だろうと、その言葉に置き換えられる前の景色、これを心象風景といってもいいのかもしれないけど、それを伝えるために使われるものなのだとしたら、「言葉のコミュニケーション」というのは芸術の基本でもあるんじゃないのかしら。

色んな人の中にある景色がみたい。もっとみたい。
だから英語にもっともっと慣れて、もっともっと色んな人の中にある景色がみれるようになりてーわぁと、そんなことを思ったのでした。