今日を考える

朝の天気予報どおり、夜はどしゃぶりだった。

めっちゃ天気よかったから、午後からの雨マークはかなり疑わしかったんだけど、でもほんとに降るもんなんやなぁ。シナリオ通りでびっくりした。
信じるものは救われる、って何だかそう思った。
まぁ私は信じなかったから傘もなし。雨の中だれよりも早く駅を出てタクシーへ直行。
そしたら家まで1600円もかかったよ、値上がりなんて聞いてないし…
素直に信じることって大事だなって、タクシーの中で思った。
バスに間に合う時間に帰ったのに。
痛い出費やわ。



今日はなかなか激しい一日で、ほんといろんなことが起こった。

色んなお客さんに会って、電話もして、かかってもきたり、話もいっぱい進んで、でも2つ断りを受けた。
そして、なぜか昼間から急に腰が痛くなって、それはどんどん強烈な鈍痛になって、今も私を自由にしてくれない。そんなに動くな、ってこと?


日々、色んなことが象徴的に起こる。
誰かが私に何かを伝えるためにイベントを起こしてくれてるみたいだ。その意味をできるだけ正確に読み取りたい。


今は頭んなかぐちゃぐちゃやけど、でも、とにかくいっぱいヒントをもらった一日だった。

どの日が自分にとって大事な日になるかなんて分かったもんじゃない。
未来から振り返れば今日だったのかも知れないし、明日なのかもしれない。
いや、毎日なのかもしれない。そう思って、明日もあったかい布団から起き上がる。



「全ての審判は死ぬ日で十分だ」

って中村一義が歌う。
このフレーズに、私は心から共感するんだ。


全ては過程。こじんまりした、その時その時の結果に振り回されないでほしい。変に落ち込まないで。それだってきっと、何かに向かうために必要なプロセスなんじゃないかなぁ

と、これだけはなんか書いておきたかったんだ。なぜか。


そして限界…
とにかく眠いので寝ます!
寝る子は育つ、って信じて…