勘違い
自分が溺れかけていたものの正体。
それは、感情だった。
君は、感情に振り回されてる。
こんなシンプルなこと、なぜ言われなきゃ気づかないんだろう。
ぐっちゃぐちゃの感情。嫌な嫌な、不安。不安。
その真っ黒の海みたいなところを泳いで、ほとんどもう溺れかけていた。
でも、自分はあくまでも冷静なつもりだった。
冷静に考えた上で、思考の闇にいる。思考の渦に囚われていると思っていた。
そうやって見せかけの思考の闇(ほんとはぐっちゃぐちゃの感情の海)にいると、自分が思考して導いたと思い込んでいる結論や方向性は、実はただのめちゃくちゃな感情で思ったことだから、いつの間にかとんでもない方向にいってしまう。
しかも、それを自分は「冷静に思考して判断した結論」と思い込んでしまう。
恐ろしいことだと思った。
勘違い。
こういう勘違いは命取りになることだってある。
私は、自分の感情に向き合うのが苦手だ。
とくに嫌な感情は。
だから、つい理屈でごまかしてしまう。
そして、その感情から何とか逃げ出そうとする。
自分の中でもっともらしい理屈をつくって、自分で極端なところまで走ってしまう。
めちゃくちゃな理屈。
感情まかせなんだから当たり前だ。
3年前の出来事を思い出す。大学3回生の秋。
私はどうしようもない怒りに堪えられずに、ある人から逃げ出した。
とんでもなく激しい怒りを無理やりな理屈に置き換えて、それだけ言って、一切話しを聴かなかった。
その人から逃げたんじゃなくて、自分の負の感情にのまれて、溺れて、負けてしまった。そういうことなんだろう。
それでも、自分は冷静なつもりでいたんだから本当情けない。
でも、分からないときは分からないんだ。
3年かかって、違う出来事を通じて、ようやく気づくこともある。
自分の中に課題として残るものは、気づきがあるまで、実践できるまで、何度も何度も、しかもより激しく起こるのかもしれない。
早く気づけ!学べ!乗り越えろ!って言われてる気分だ。
もちょっとお手柔らかに願いたいんだけどなぁ・・しょうがないか
思考と感情、そして直観。
全てをぱきぱきっと分類することは出来ないだろうし、この3つは絶妙な関係で成り立っているんだと思う。
影響し合うし、時には対立する。
どれかひとつだけを判断基準にしてるわけではないはず。
だけど、勘違いだけはしたくない。どれが源なのか。
とくに思考と感情は、要注意!
9月になってようやく冷静さを取り戻し、感情の海から思考の陸に上がったような感覚がする。
さて。
歩くか!