準備中

国立博物館の、平山郁夫展が素晴らしかった。

どう?と訊かれて、こう!といえるようになりたいけども、

「絵の前に立つと、まるでその場にいるような、すごい臨場感なんだよ!その場と言っても、平山郁夫の眼を通したその場だから、それって現実にはない場所のようにも感じるの。まるで絶対にいけない場所に観光にいったような気がした!」


と言って果たして何が伝わるか。
そんでもって、それがわたしの感じた全てだろうか。
ちがうちがう、もっと感じたことはあるのよ。けれど、、

言っちゃうとズレる、この感じ。
だから今はひとり黙々と感じるのがいちばん大切な時間。
アウトプットのテクニック云々より、そもそもどう感じるかというのが一番大事で。



勝負のときが来たら、それはもう待ったなし。ということをわたしは知っている。

時が満ちれば、なんでも即・実戦。
あっという間に戦いは始まるのだ。
そのとき「待ってください、練習させてください」ではダメ。
そのときじゃどんだけ努力しても、もはや追いつかないことというのもある。


わたしの兄なんて、かれこれ20年近く準備していた。
どんな勝負時が来るかも知らず、だけども全てがその本番のための準備であり、訓練であったようだ。
あとになってわかること。



いまは色んなものを見て、感じ、人と話して、感じ。

人の財産は、「感じ方」だと思うから。
こればかりは付け焼刃のもんじゃない。



夜は黙々とごはんを作り、切ったり煮たり味をみて「なーんかちゃうなぁ」とか「なかなかいけたな」とか
あくまで自分のためのことだけど、


これは何かへの黙々たる準備でもあると、期待というよりこれは確信。


時が来たらば、即・実戦。