死を想う
わたしにとって、死はまだまだ遠いもののように感じる。
今日、お客様が亡くなられたとの知らせを受けた。
たまたま、ほんとうにたまたま奥様にお電話する用事があって、お久しぶりですと用件を伝えると、
「亀川さん。あのね、あの人、亡くなったの」と、あまりに唐突に。
まだお若い方だった。
心筋梗塞で、あっという間だった、と。
お葬式から2週間が経っていた。
「まだ、家に帰れないんです。」との奥様の言葉を聴いて、その方の死が、奥様の喪失感が、
ぐっとリアリティを増す。
お家に伺ったこともあった。本当に仲のいい、素晴らしいご夫婦だった。
こんなに唐突で、あまりに突然で
死について思いを巡らせてみるとき、死の方が特別な出来事のように感じるけれど、
そうではなくて、この身体をもって生きるということの方が、実はとても稀な、特別な体験なのではないかという気がする。
わたしたちは、もともとずっと存在していて、身体があろうとなかろうと、これからもずっと存在しつづけ、
いま「たまたま」身体に入って生きてみている、そういうラッキーな機会をもらっているだけかもしれない。
食べる幸せ、眠る幸せ、見つめあったり歌ったり、そういう楽しいこと色々は身体があるから味わえるもので、
だからこれはとてもラッキーな、特別な時間。
しかし、残念だけど身体には寿命がある。
食べ物にも、電池にも、期限があるように。
それを死というのかもしれない。
やり場のない気持ちを、どうにか無理矢理にでも言葉に落とし、どこかに着地させたいけれど、
だけどそう上手くもいかず